「展望台イーグルズ・ネスト|古代の森ウィンドクリフ・ウッド」の後、チェプストウの市街地と古城まで足をのばした。
タウン・ゲートと街並み
まずは「タウン・ゲート(The Town Gate)」から街の中へ。地元では「タウン・アーチ(The Town Arch)」と呼ばれるそうだ。
The Town Gate |
「タウン・ゲート」は元々、13世紀後半に「ポート・ウォール」と共にに建てられた。「タウン・ゲート」は、防衛と徴税のための「ポート・ウォール」を通って町に入るための唯一の陸の入り口で、町や市場に訪れる人々の通行料を徴収する場所だったそうだ。現存するものは主に16世紀に作られたものだが、何度か修復されたり、一部が建て直されたりしている。
ちなみに「チェプストウ」とは、古英語で「市場」という意味なんだそう。
タウン・ゲートから街の中へ入ると(現在は通行料を徴収されたりはしない)、こじんまりとした雰囲気の街並みがあった。
銅像 ‘THE BOATMAN’ |
オールド・ワイ・ブリッジ
「オールド・ワイ・ブリッジ(Old Wye Bridge)」は、「タウン・ブリッジ(Town Bridge at Chepstow)」、「チェプストウ・ブリッジ(Chepstow Bridge)」とも呼ばれる。
この橋は、ウェールズのモンマスシャーとイングランドのグロスタシャーの間を流れるワイ川(River Wye)に架かっている。ここには、ノルマン時代から木製の橋が架けられていたが、現在の橋は1816年に建設された鋳鉄製のものだ。「リージェンシー様式」と呼ばれる様式をとっている。
1816年、建設当時の風景画
今もそのまま残るオールド・ワイ・ブリッジ |
1812年、木製の橋だった時代の風景画。奥にはチェプストウ城の遺跡。 A view of the bridge over the River Wye, and the ruins of the Castle at Chepstow; 1812(Wikimedia) |
潮の引いた後だったので、このように泥々だった。それでも川沿いでは、ベンチに腰掛け、景色を眺めながらリラックスしている人が沢山みられた。
チェプストウ城
チェプストウ城は、ヘイスティングスの戦い(1066)の1年後にウィリアム征服王(ウィリアム1世)の要望で、彼の親しい友人(ウィリアム・フィッツ・オズバーン伯爵)によって築かれた。955年前のことである。
チェプストウ城は、ローマ時代以降に現存する、英国最古の石造りの城だ。
ワイ川を見下ろすこの城は、非常に戦略的な位置にあった。12世紀には、イングランドがウェールズ独立王国であるグウェントを征服する際に使われた。
その後は大富豪によって所有されたのち、16世紀になると軍事的な重要性は薄れ、一部は家庭用にアレンジされた。17世紀、イングランド内戦の際には再び要塞として使われたが、18世紀までには廃墟と化していたそうだ。
18世紀末頃のチェプストウ城
この日は17時を過ぎていたため、城の中に入ることは出来なかった。代わりに城の周りを歩いたが、横から見ると更に城の大きさがよく分かった。
城の周りには緑豊かな散歩道が続いていた。
ここもワイ・ヴァレイ・ウォーク(Wye Valley Walk)の一部のようだ。
一番下がここチェプストウで、その上がイーグルズ・ネストとなっているので、そのまま進むとまたイーグルズ・ネストへ辿り着いていたのかもしれない。
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イギリスの様々な場所へ訪れる際に、やはり気になるのがその地の歴史だ。どこもイギリス史と密接に関わっており、その痕跡が残っていることも多いので、興味深い。
何かを調べた時に、決まって目を通す本がある。
イギリスの歴史が2時間でわかる本 長大な歴史と重厚な文化を持つ英国がたどってきた道のりとは―― (KAWADE夢文庫)
手のひらサイズの小さな本だが、ストーンヘンジからサッチャー政権までのイギリスを象徴する歴史事項が簡潔にまとめられている。調べた内容と照らし合わせることで前後関係を整理できるので、理解が少し深まる。
それでは、今日はこのへんで。
肩を寄せ合うカップル – チェプストウ城近くの散歩道にて |
Manami
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