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エピファニー(公現祭)とクリスマス

イギリスをはじめ、ヨーロッパの多くの国では、1225日が過ぎてもクリスマスの飾りをすぐには片付けない。それには「エピファニー(公現祭)」というキリスト教の祝祭が関係しているようだ。


The Star of Bethlehem, 1887-1891. / Sir Edward Burne-Jones
ナティヴィティのシーン左から、ヨセフ、メアリー、イエス、三博士(バルタザル、メルキオル、ガスパル)



先日、初めてエピファニーの祝いに参加したため、その背景について調べてみた。




クリスマスは12月25日じゃなかった?

現代において、クリスマスは一般的に12月25日で、それがキリストの生誕を祝う日だということはよく知られている。しかし実際には、キリストがいつ生まれたかということは分かっておらず、聖書にも書かれていないのだ


元々、4世紀前半頃までは、1月6日をキリストが洗礼を受けた日として祝っており、東方教会(正教会)において主流だった。しかしこの考えは、西方教会(ローマ・カトリック教会)によって「異端」とされる。西方教会によれば、キリストは「生まれながらに神的存在であった」ため、「洗礼によって神的存在となった」のではないのだ。(325年、ニカイア公会議)


なお、その頃ローマ帝国では、キリスト教とは別に、太陽を崇拝するミトラス教が人気だった。そこで、既に「不滅の太陽の生誕日」として盛大に祝われていた12月25日を、「キリストの誕生日」として制度化することにした。マラキ書(旧約聖書の預言書の一つ)にも「救主(すくいぬし)は『義の太陽』」と預言されていたため、好都合だったのだ。


更にローマ帝国の皇帝たちが、「太陽でなくキリストの誕生を祝う」よう勧めた。このようにして、1225日をキリストの誕生日(クリスマス)として祝うことが定着していき、現在にまで続いているのだ。




エピファニーの再解釈

4世紀末頃、1月6日の祝い事が再度、西方教会に取り入れられる。しかしこの時にはクリスマスは12月25日として定着しており、1月6日においては、キリストが洗礼を受けた日としてよりも、「『三博士の参拝(マギの礼拝 / 三王来朝などともいう)』によって、キリストが神の子として『公に世に現われた=公現』」とする考えが導入された。


三博士の参拝とは、三人の博士(マギ / 三王)が、誕生してまもないイエス・キリストの元(ベツレヘム)を訪れ、贈り物をしたと伝えられる日のこと。三博士の名は、ガスパルバルタザルメルキオル。 贈り物は、黄金乳香没薬であったとされている。この出来事を記念したものが「エピファニー(公現祭)」であり、現在にも残る、16日の祝祭となっているのだ。




結局クリスマスはいつからいつまで?

クリスマスの期間について語るためには、もう一つ、「アドベント」についても触れておこう。アドベントとはラテン語の ‘Adventus’ から来ており、「(キリストの)到来」を意味する。12月25日より4つ前の日曜日(早くて11月27日、遅くとも12月3日)から始まり、クリスマスイブまでの約4週間つづく、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことである。


「アドベント・カレンダー」をご存知だろうか。12月1日〜24日までのカレンダーで、日付は順番に並んでいたり、バラバラだったりする。一日一つずつ、日めくりのようにその扉を開いていく。中にはお菓子や、おもちゃ、最近では様々なブランドが工夫を凝らしており、ビューティーグッズなども人気だ。めくり方は、1から順番に、または24からカウントダウンするようにと、意見が分かれるようだ。



ということで、クリスマスはアドベントに始まり、クリスマス当日を経て、12日後のエピファニー(1月6日)までとなる。



アドベントが始まる頃にクリスマスツリーなどの飾りつけを始め、1月6日に全ての飾りを外すのが一般的だ。現在では、エピファニーを1月6日ではなく、1月2日以降の最初の日曜日にお祝いすることが多いようだ。


つまり、現在ヨーロッパで広く親しまれているクリスマスは、約6週間に渡るイベントなのだ。イギリスでは、年明けの瞬間は一応、街が花火などで盛り上がるが、日本のお正月とは全く違った雰囲気で、そんなに重要視されない。それは、まだクリスマスの途中だからということも関係しているのかもしれない。(そもそも教会の暦では、アドベントが一年の始まりとされている)




Manami




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