今年のイギリス、5月の雨が多く、まるで日本の梅雨のよう。
イギリスには、 ‘March winds and April showers bring forth May flowers’ (3月の風と4月の雨が、5月の花を連れてくる)という諺がある。
特に ‘April Showers’という言葉が有名だが、今年の4月はほとんど雨が降らなかった。
その代わりに、今月(5月)は雨がとても多い。今も降っている。
雨の日に家でのんびり過ごすのが好きな私だが、日本の梅雨は苦手と感じることもある。イギリスはまだ平均気温が10度くらいで、湿度も感じないので、日本の梅雨特有のじめじめとした不快感がないのだ。
さて、そんな今日は、現在私の住んでいる街「バース」の歴史をご紹介したい。
ローマン・バス 世界で最も保存状態の良いローマ時代の遺跡の一つ |
はじめに、現在のバースについて基本情報を。
バースは、イングランドの南西部、サマセット州に位置する、人口約9万人の都市。
バースは、その市全体が ’City of Bath’ (「バース市街」)としてユネスコの世界遺産に登録されている歴史的な都市で、温泉、ローマ時代の浴場、中世の遺産、18世紀のジョージ王朝様式の建造物などで有名。
「レ・ミゼラブル」「ブリジャートン家」「シャーロック」など、数多くの映画やドラマのロケ地ともなっている。
世界中から年間約440万人が訪れる人気観光都市でもあり、ここ数年はロンドンから移り住む人も増えているらしい。
ロンドンからは電車で1時間半ほどなので、日帰り旅行先としても人気。
バースの歴史①
~ローマ人とアクアエ・スリス~
バースができたのは1世紀、イギリスがローマ帝国支配下だった時代まで遡る。
西暦43年、ブリテン島を征服したローマ人は、温泉の湧くその珍しい地の開発を始めた。
43年 ブリテン島の大部分を征服した ローマ皇帝クラウディウス |
そうして出来上がった当時のバースは、ローマ人たちに「アクアエ・スリス」と呼ばれ、休息と安らぎのための神聖な場所とされていた。
西暦70年には、温泉を囲む貯水池、洗練された一連の浴場、そして女神スリス・ミネルヴァに捧げる神殿が建設された。
アスクレピオスの神殿が発見されていることからも、そこに治療に特化した浴場があったことが示されている。
スリス・ミネルヴァ 先住民のケルト人が信仰していた泉の女神であるスリスと、 ローマ神話において医療を司る女神であるミネルヴァが融合した女神 |
アスクレピオス ギリシャ神話に登場する名医・医学の神 |
こうして、神殿と浴場の複合施設を構えたアクアエ・スリスは、休息、治療、社交の場として栄え、ヨーロッパ中の人々を魅了するようになった。
考古学的な証拠と、伝説
バース市はローマ人によって建設されたが、温泉の周辺では少なくとも紀元前8000年(今から約一万年前)には人間が活動していたということも、考古学的な証拠から分かっているようだ。
一万年前といえば、日本は縄文時代。
また、ローマ人による開発よりも遥か昔、ハンセン病にかかったブレイダッド王子は、バースの熱い泥水を浴び、奇跡的な治癒を体験した。これに感謝したブレイダッド王子は、後にブリトン人の第9代王となると、紀元前863年、この温泉を中心にバース市を建設した・・・という、伝説もある。
(公式には、ローマ人がバース(アクアエ・スリス)の創設者)
しかし、ブレイダッド王子については多くの歴史書で言及されていて、いくつかの古いコインにも登場し、そのうちの一つには「BLADUD FOUNDER OF BATH(バースの創設者、ブレイダッド)」と刻まれている。
コイン販売店: BALDWIN’S: BATH, BLADUD, HALFPENNY TOKEN, C.1795
バースという名の由来
さてここで、バースという地名の由来について探ってみる。
紀元前750年以降、ケルト人(ブリトン人)はこの地を Sulis(スリス)と呼んでいた。
スリスとは、地元の水の神と思われる、女神スリスにちなんだものだ。
1世紀にローマ人がイギリスに侵攻した後は、ローマ人によって Aquæ Sulis(アクアエスリス=スリスの水)と呼ばれるようになった。
5世紀にキリスト教が入ってくると、宗教的に中立な名前として、 Aquæmann になったと考えられている。
これは、古ウェールズ語の mann(場所)を、馴染みのある aquæ に加えたものだ。
7世紀(675年)の勅許状には、 Hat Bathu と記されている。
これは、アングロ・サクソン語で「熱い風呂」を意味する。
その後、その複数形である Baðum、Baðan、またはBaðonになった。(”ð “は “th “のように発音する)
それらは、 ‘at the baths(風呂で)’ という意味になるそうだ。
・・・
Aquæmannの再来
10世紀、 ‘Aquæmann’ が再度注目されたことがある。
965年~972年、Bathを表す ‘Achamanni’ と ‘Aquamania’ が、エドガーの勅許状に突如現れたのだ。
973年のある記述には、「エドガーの戴冠式が『昔の人はAkimannis castrumと呼び、他の人はその沸騰する水のためにBathumと呼ぶ都市で』行われた」と書かれている。
その後 ‘Aquæmann’ の呼称が一般的になることはなかったが、エドガー王が好んで使った、古代の再発見であったと考えられている。
Baðum、Baðan、Baðon…
当時の言語には「正確なスペル」というものが存在しなかったため、その綴りには諸説ある。
しかし、これらが現在の ‘Bath’ という名の由来となっていることは間違いないだろう。
参考: Jean Manco, ‘Saxon Bath: The Legacy of Rome and the Saxon Rebirth’, Bath History 7 (1998), 27-35.
バース市の ‘Bath’ が、英語で風呂を表す ‘Bath’ の語源となっているという俗説があるが、そもそも「英語」が出来上がってきたのもこの頃だと言われているので、その辺りで混乱が起きているような気もする。英語の ‘Bath’ が出来たのと、バースが ‘Bath’ と呼ばれるようになったのは、だいたい同時期なのでは? どちらにしても、「風呂」を表すアングロ・サクソン人が持ち込んだ言葉に由来しているようだ。
・・・
後編へつづく
Manami
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